天邪鬼列伝 [親/宝を失うこと] [編集]
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S.Kobayashi
新潟県長岡市出身。東京を経て、現在は千葉県の船橋市在住。ラグビー日本代表のフルバックに「五郎丸」という選手がいますが、ワタシの生まれた所の地名が、「太郎丸」。
2015年で戦後70年。戦後生まれの日本人は、自立した普通の独立国に住んだという経験を持たない、ということでその過ぎた長さも思われる。長い日本の歴史の中で、かつてそうした日本人がこの国土にいたことはないわけで、その置かれている戦後レジームという先行き不確かな捉われものの上のfuture。これからの日本がとるべき道。自力で自国を護る、普通の独立国にまた戻れるものかどうか。考えさせられることの多いこの頃なのだけれども・・・・・・。
趣味としての音楽。どのジャンルのものも好きではありますが、クラシックやロックのballadなどの他に、、10代の終わりころからの旧い時代のTango Argentina。スペイン語はできないけれども、スペイン語で歌われるそうした時代の曲に痺れるものを感じることが多い、というのは感覚に通じる、合ったものがあるからなんでしょうね。そのメロディ、情感に。他のジャンルにも時にその種の"たまらなさ"を感じるものはあるわけですが・・・。
何かというとViolinを手にとるというのが、日常行動のひとつ。譜面台の前に立って、ともかく弾く。10代に始めて学生時代は部活でも交響楽団、その後長いブランクはあったものの、再び戻ってからは自身の一部のようなものとなって。楽譜の覚えは悪くなっているものの、そこは繰り返すことで何とかカバー。というその繰り返しの処で手にとるViolinのわけですが、ひとつひとつ、曲をそれなりに覚えてしまうことになる。通して弾いている。そんなところも面白いし、たのしい。Bach好きで、目下の処はPartita。Gidon KremerのplayするPartitaなどに、感じつつ。
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Story goes to the last
小林貞明というひとについて考える間もなくいやいや考える時間はあったもののついには解らず仕舞いで瓦解するページあるいはスペースというものを洞穴の奥の奥で探っておりますtamblinmanあなたの足はみ出して地球の裏側に抜けていますぞいやいやそれは嘘で本当のことはみいんなあの籠の中
市川市の事ですね、残念です。
by ばん (2010-11-22 01:03)
アリガトウゴザイマス、伴さん
以前から気になっておりましたので、今回このような形で、そのことに触れてみることにしました。
いじめというのは、人間世界の何処においてもあることで、難しい厄介な問題ではあるわけですよね。それでも、例えば何十年ものむかし、我々が子供の頃など、いじめなどによって傷ついた子供たちの自殺があっただろうか、などということを思うと、時代の変化、背景などによって様相が異なってきている面など、見なければいけないということも出てくるようです。そうした諸々、考え、見なければならないことがあるとしても、非常によく見える、理由は他には考えられないようなあることに対して、それを正面から見ようとせずに、避け、逃れる対応を眼にしないといけないという現実。「いじめが、自殺の原因であるかどうか分からない」というような愚の骨頂と思える責任ある立場の人間の態度は、ここにもまたそう対応せざるを得ない模様の理由はあるとしても、ともかくそれを超えて正さないといけないものがあるでしょう? それからまた、次のことを考えてもらいたい、ということを思い、感じるんですけれどもね。
by extraway (2010-11-22 16:57)
私たちが子供のころもいじめがありました
でも自殺はなかったですね
自殺なんて恐ろしくてできないのと
今ほどに陰湿ではなかったからかな
と思うのですが
いじめられる方はすごくつらいですよね
by きよたん (2010-11-22 21:55)
今のいじめは手が込んでいます。
教師や親にはなかなか見抜けない巧妙なしかけがあり、いじめる側は表面では良い子を演じて、常にいじめられる側を大人から見たら悪(どうしようもない子)のように仕立てていきます。大勢で狩りを楽しむかのように…。
大人側は深い訳まで理解せず、悪に仕立てられた方をつい責めてしまいがちになります。
そうやって孤独になってしまうのでしょう。
うちの娘はいじめられた側でしたが、10年も経ってから裏で仕立てられた真実を明かしました。
仕立てられた悪を正そうとしただけで、親身になって庇ってやれたのかどうか?自問すると、親として苦しいです。
by chako (2010-11-23 10:54)
因果関係、不明かもしれないけど、絶対ゼロではないですよね。
ふくろうの目って不思議な力がありそうな気がしませんか?
by ぶーけ (2010-11-23 13:00)
アリガトウゴザイマス、きよたんさん
責任や、態度のとり方の「曖昧さ」。責任ある立場の者たちのそれ。メディアなどで剥き出しに見せられるもの、多いですよね。その形のもの。何故だか、はっきりとしない。国の中枢でも、明確なところを見せない。その空気におおわれているような感じにたまらなさを感じている国民、多いのではないでしょうか。あそこでそうなら、こちらもそう。という印象。
このいじめの場合のことも、その一端。構造的な病巣があるということでしょう。だから愚の骨頂のような対応をしか見ることもできない、というのが常態化している眺め。言いたくなるのですね、こちらなどそのように。
by extraway (2010-11-23 20:41)
アリガトウゴザイマス、chakoさん
先ずは、非常にデリケートなものを含んだ集合、ということを考えないといけないんでしょうね。育ち方もそれぞれに違う。親に愛されていない子もいる。同じ場にいても、その個々の内側の模様は、天と地ほどにもちがっているかもしれない。そうしたことがあると思います。その状況においての行動、関係ですから。むずかしいものになるでしょうね。
by extraway (2010-11-23 21:04)
アリガトウゴザイマス、ぶーけさん
いじめを学校に相談している、その後の自殺。というような場合でも、因果関係は不明です、などと苦しげに説明する。何をかいわんや、ということでしょう。苦しんだ子の気持を分かってやれないということですね。哀しいことです。
フクロウの眼。そうですか? 「力」を感じるほどに想像力をそこに向けたこともないので、なにか夢想的な可愛さ、魅力をしか思いませんけれどもね。ぶーけさんのそのイメージ、何かしらの影響?
by extraway (2010-11-23 21:14)