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これもひとつの出会い。ということになるんだろうけれども、「ひとつのいのちとの」と言いたくなるところもあるかな。28/7/Monday。道路のあちらサイドの端で、ブルーのセキセイインコが必死で羽をバタバタさせている。飛べない。端を伝うように先に動くだけ。ともかく、暑い夏の陽射し。車道。そんな処に、何故に幼げなインコがいたりするものなのか。辺りには、結びつくような家も建物もない。突如として見えてくれば、眼を疑うような眺め。その様子では、生き延びられそうもない感じだし、クルマに轢かれかねない。見過ごせるようなことではない。道路を渡る。保護すべく手のひらに乗せ、そうして家に戻ったという次第。 
                                                                

                                                                

10年になるオカメインコとは別な、小さめのカゴを用意。一日ほどは緊張している様子で、止まり木の同じ場所を動かずにいたけれども、それから漸くにして、動きも見せ、鳴く声を洩らし、餌をついばむ姿も見せるようになった。様子からして、ここで問題なく成長していくだろうことを、感じることができた。見ていて思ったことだけれども、まだ幼く、不安いっぱいの感じ。そうした心のようなもののこと。人間と同じ。未知のことへの不安。個々それぞれに異なる、性質。心のデリケートさ。だから、あの夏の陽射し強い、乾いた道路端での、このまだ幼い小鳥の心が、どれほどのパニック状態に晒されていたかを、想像してしまったものです。眼に残る、あの必死で羽をバタつかせていた時の、この子の姿。消えずに残ることになるんだろうな。かつて、5/ Feb/ 1986 から 7 /Sept/ 1995までワタシの処にいたセキセイインコ、Markの名前が、ここにて復活。

                                                                               

                                    
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