are-kore/なぜそれを選ぶのかと画面抜け出て迫る真昼時のran-ran eyes

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ほんの少し前のことなんだけれども、スウェーデンのIngmar Bergman監督(1918-2007)の"Shame(恥)"(1968)という作品を見て、その中で使われていたBachの音楽に興味をそそられ、感じさせられるもののあったことがあって、実は後でそれが別の映画の思い違いであったことが解ったりもしたのだけれども、ともかくBachの曲でのそうしたことがあって、その後で今度はドイツのReiner Werner Fassbinder監督(1945-1982)作品の中で流れたVivaldiの曲に、またなにか感慨が伴うようなことがこちらの思いにあって、個人的な感覚からすると珍しいことがつづいて重なった、という印象が強かった。などということで、記事にしてそれに触れてみたくなったものの、、、、、。

Bachの曲というのは、E major のViolin concertoの第二楽章部分、Adagioなのだけれども、使われていたのは実は別の映画の中ではないかということに疑いを持つまでには時間がかかって、私はどこかにそのシーンがあるはずだと"Shame"の中、あちらこちらを探し回ることになったのである。このベルイマンの白黒の映画は戦時中が舞台で、オーケストラでヴァイオリンを弾いていた夫婦、ベルイマン映画お馴染みの女優Liv UllmannとMax von Sydowが本土を離れ島で避難生活をしているのだけれども、そこもまた戦乱に巻き込まれる場となって、彼らの命も極限状況に晒されるに至る。

Bachと言えば、映画の冒頭で朝目覚めた後の夫が、夢の中で互いにオーケストラで隣り合わせブランデンブルグ協奏曲のスローな部分を弾いていたこと。泣きながら弾いていて、そして泣いて目覚めたと話すところでその名は出るのだけれども、ともかく、私の記憶にあったのは、そうした不安におびえる状況の中で束の間、壊れがちだというラジオからそのBachのAdagioが流れ、ベッドの上でひとり頬づえをつくようにして聴き入る彼女の姿があるシーン。何処かで確かに見ている。必ずあるはず、と思えた。シーンとしても、その映画の中では相応しいものと感じられて。その場面で使われたAdagioが感じさせた、心の深淵に浸みていくような、玄妙、緩やかな音の魔術的な流れ。伝わりくるもの。

いわゆる、西洋音楽。クラシック。多くの曲が映画の様々な場面で使われてきて、印象に残るその映画の中での曲も多いけれども、効果的に使われることでその音楽からひきだされるもの、膨らみを帯びるものの多いこと。それによって改めてその曲の持つ力に気づいたりする、というようなことがあったりなど。その時のadagioに感じたのも、そのようなこと。自身も楽譜を持っているし、弾いていることもある馴染んだ楽章なのだけれども、改めて思わされた、新たな部分。演奏していたヴァイオリニストのイメージなども、浮かぶ。おそらくは、Yeudi Menuhin(1916-1999)。ヴァイオリニストNigel Kennedyの言う"Bach speaks through Menuhin's violin"。それが分かるほどに。

"Shame"の中で、そのシーンのありそうな箇所を見つけようとしたのだが、ありそうにない。ということは? と初めて思い違い、おそらくは別の作品の中。ということに思い至って、それはどの映画か、と考えてみて行きあたりばったたりの思いつきで、同じベルイマンの"Persona(ペルソナ)"(1966)を見てみることになった。探るように映画の中途に入り込んでみると、偶然にも、まさにadagioの流れるシーン。病院のベッドの上にいるのは、同じLiv Ulymann演ずる、心に問題をきたして言葉を発することのなくなっている女優。Adagioの流れるなか、大写しになった彼女の放心したような物悲しげな二つの瞳が、静止したまま、画面の外の見ている此方側に真っ直ぐに向けられている。私の記憶にあったシーンのイメージとは、全くちがう。どういうことだったのか。

記憶の中のシーンのイメージとは、全然違った。ということ以前に、そもそも私には"Persona"を見た記憶がないと言って良いほど曖昧で、それはもう記憶障害を起こすような脳になっているらしいことを認めるしかないのだが、心に沁みるように流れていたはずのadagioが、この"Persona"のシーンでは、Liv Ullmann演ずる心を病んだ女優の心に共鳴する余地のないものとして流れているとしか思われない。この女の孤独が際立ち、音楽はただ脇を通り抜けているだけのもののように、感じられてしまう。"Shame"の中のシーンと思っていた時には、束の間の心の安らぎ、慰撫に呼応するように流れていたと思えていたものが。そして、感情というものを失っているかのように、見開かれている彼女の瞳が、画面のこちらで見ている者から離れない。

adagioが、此方のシーンの記憶違いによって別のニュアンスをもって感じられるものとなったことはそれとして、気になってしまうことと言えば、クローズアップされた演者の瞳が画面を突き抜けて対峙するようにこちらに注がれるような演出技法。映像技、と言ったら良いのか。監督の演出。状況からして病んで心の空疎思わせるこの場合のLiv演ずる女優の瞳には向かってくるようなエネルギーを感じさせるものはない。よってこちらも怯むことなどなくそれに向き合えるという感覚でいられたのだけれども、実はその少し以前、それもベルイマン作品だったのだろうか。同じようにして主役の女優のクローズアップで、挑むような力を感じさせて、見ているこちらに視線が向けられ、凝視したまま刻々と時間が過ぎていく。というシーンがあった。否が応でも画面の彼女とこちらの間に緊張が生まれずにはいないという演出。

眼を逸らせなくなったその時の、かつて映画を見ていて経験しなかった、映画を抜け出した演者を僅かの間登場させてしまうというような特異装置を見せつけられたような、自身の感覚では怖い凝視に出会った記憶。それも忘れ難い、映画の中で試みられる、或る意味可能性。映像で人の心に食い込もうとするときの技法的可能性。ベルイマンなどは、当然そうしたことを常に追求しようとした人であるのだろうけれども、この"Persona"にしても、ひじょうにむずかしいテーマを扱っている作品。タイトルからもそれは解るようなもので、何にしても上記のシーンでBachのそのViolin concerto in E major中のadagioが使われていたのは、興味深いこと。ある心的世界、心的背景に対して、クラシックを生んだ西洋世界の人はどのような音楽を選ぶものなのか、その傾向などということも、この場合を考えても思いを馳せたくなる。

                                         **

最初に触れた曲のもう一つの方、Vivaldiの方のことになるんですが、Fassbinderの"Lola"(1981)の前半の思わぬところ、思わぬ形で使われている。というように感じられたもので、それも考えあっての選択ということになるのだろう。それだけにその訳をちょっと思いめぐらせてみたくなったりもしたのである。普通には、誰も殊更にそのことには関心を抱かないのではないかな、とは思う。娼婦の名"Lola"がタイトルになっている作品であるのだけれども、時代は戦後の復興期。町に赴任してきた中年の建築局長とLolaの恋が始まる。彼女はある男の囲われ者、愛人でもある娼婦にして、男の経営する店の歌手でもあるのだが、局長は彼女が娼婦であることも、誰かの愛人であることも知らない。Lolaとの純愛に始まる。

どういう結末になるのか知ってはいるのだけれども、実際の映画は中ほど近くまでしか見ていない。その先まで見たくなくなってしまったということがある。ファスビンダーが活動していた頃、情報としてそうした異色のドイツ人映画監督がいることを雑誌等で知り、映画について紹介された記事も読んだけれども、彼の映画を見たことはなかった。今度見たのが初めて、というようなことながら、現在の年齢で見たせいもあるのか、どうもその展開への興味、あるいは作品を通して先に見えてくるものへの関心が湧かず、自身が17歳位の頃に弾いていた記憶も甦るVivaldiのViolin concerto イ短調を弾きだすという部分だけでこの作品に関しては満足、ということになってしまったらしいのである。その部分、シーンというのは、自室において建築局長が、なんとヴァイオリンを手にし、レコードに合わせて弾きだすという、いわばこの人物はそういうことのできる人だったのかと、知らないが故の意外性に遭遇するかのような面白みを、先ずは覚えたということ。

それほどに唐突な印象を与えもしたということだけれども、誰もその人を見てそうした趣味を持った人とは思わないとしても、たまたま人がそれを知らないだけ、ということは普通にあることなので、常に予想されていることが起きるようなシーンの連続も、それは凡庸すぎる。それに触れるかどうかは分からないながら、ファスビンダーは1970年から離婚した72年まで女優にして歌手でもある女性がいながら、その間も、同性である俳優とはゲイの恋人関係はつづけるという、78年には別の愛人であった同性は、自殺。薬の飲みすぎ、或いは自殺とも言われる亡くなり方をした時には女性と結婚していたというように、普通とも思われない人生シーンを辿った人であるし、異なる味がともなうことは、その端々に見られて納得がいくと考えられても良い処なのである。このヴァイオリンもそのひとつというほどでもないとしても、私には有難い登場となったというところで。

巧み。それが、先ずの印象。役として弾くシーンで、弾くふうを装って演ずるというようなものではなし。実際に手のものにしている楽器を、自在にこなしている感じが、なんとも味な良い感じ。演じた当時50歳ということになるか、Almin Mueller-Stahlが、10代の頃にはヴァイオリンをやっていてその後俳優の道に入ったという経歴の持ち主であることを後で知って、それゆえにこそのシーンだったのかと。場面にそうした味を加えたのも良く分かるうな事情も背後にあったということになるけれども、人物設定からすれば唐突なようでもあり、ゆえにまた面白みも出た、ということになるのだろうか。というより、私は、ある種、役の人物として見ていて、その上で趣味として弾くこと、たのしみのモデルを見るかのような快さを覚えたということになるのかもしれない。レコードのVivaldiと共に弾きながら、ちよっとニャッとしたりなどする。つまりは、久しく弾いていないので間違えてしまったという部分のあったことを、音からは分からない形で、表情が物語る部分などにあった、味。なんとも、良かった。

                                  **

VivaldiのViolin concerto in A minorの楽譜ははるか昔に失くしてしまっていて、また弾こうとも弾きたいとは思わない、ただItzhak Perlmanのプレイを聴くなどして良さを感じたりもしているだけだけれども、Bachのconcerto in E majorの方は、Menuhinの弾くイメージにひきつけられるようにして、ここのところ弾くことが多い。

                                Bergman

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                                Fassbinder

    
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VISITOR'S! 10

コメント 5

ぶーけ

バーグマン監督、素敵ですね。^^
音楽と映画の1シーンの幸福な結合、はたまにありますね。
音楽的素養のない私は、すごく感動しても曲がわからないのが残念です。

お名前だけじゃなくて、色もかわりましたね。
心境の変化でも?
by ぶーけ (2014-03-30 16:30) 

extraway

同じスゥエーデン出身のイングリッド・バーグマンは英語読みで慣れていますが、監督の場合は「ベルイマン」ですね、日本においては。外国では、どうなんでしょう、その名前の呼び方?

アイコンなど、いじるのが好きなんでしょうね、なにかと。名前も前に作ったもののそれを、また使っただけのことで。
by extraway (2014-03-30 23:32) 

ぶーけ

失礼しました。ベイルマン監督なんですね。(良く知らないので。^^;)
他の国は知りませんが、フランスでは全部フランス語読みになります。
ワーグナーがヴァグネルだったのには驚きました。
by ぶーけ (2014-04-02 13:02) 

extraway

フランスでの呼び方などとなると、それは日本とは違うでしょうね。英語のジャパンは、フランス、ドイツ、例えばのこと、それぞれ別の発音の呼び名になりますからね。細かいことを考えたくなくなります。その国、土地で通用している言い方をするのみで。
by extraway (2014-04-03 23:19) 

ぶーけ

宮沢賢治、少し読みました。
恋と情熱、難解すぎです。
宮沢賢治のイメージがガラッと変わりました。
代表作が「雨にも負けず」になっちゃってるのは、不幸だと思いました。
小説の方も、子供向けに分類されちゃってるのはやっぱり不幸なことですよね。
by ぶーけ (2014-08-04 13:52) 

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