are-kore/待てど待てど待てど待てど待てど来ないものなどあるもの? それをBear語に訳せば? [ホームカミングデー memory]

 
 
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去る10月20日の日曜日は、激しい雨の降る朝だったという記憶が強いのだけれども、その日は早稲田大学のホームカミングデーの日で、今回が48回目。卒業後15年、25年、35年、45年、50年目の人たちが招かれる日ということで、私もWASEDAサポーターズ倶楽部の関係で招待をしていただいたことで、たのしみに出掛けたというようなわけなのです。朝、東京メトロで向かっていて、眼にしたひとりの人物のこと。早稲田駅のいくつか手前辺りの駅で乗ってきた方なのだけれども、熟年と言って良い年齢でちょっと小柄、堅実な人柄を感じさせる端正な面立ち、紺のスーツ、という前に立つ人もいるその向かいの席の人の姿を、それとなく見てしまっていたのですね。
 
というのも、その日がその日だし、方向もその方向だし、その人の印象にもOBではないかなと感じさせるものがあったからということであるけれども、これからホームカミングデーの大学に向かおうとしているのではないかな、と予感しつつ。ほどなくして、上着の内ポケットから封を取り出すのが見え、のぞけたその封の端側の、幅広の茶のラインが眼に入る。私が受け取ったのと同じ封筒のデザインと思しい。その先は、彼の席側の前に立つ人の動きで遮られたけれども、何か確かめ見たくなるものがあったのでしょう。そんな様子を見るなかで思われた、卒業生が人によっては何十年振りかで母校に行き記念式典に出るというようなことのたのしみ、ちょっと昂揚する気分のようなもの、緊張と期待。 
 
そういう行事のある日は、晴れの日であって欲しいと願う処であるけれども、悪天候。この日のために遠方からやってきたOBもあったことを思うと、ちよっと残念に思えたこと。戸山キャンパスの式典の行われる記念会堂前は、傘を手に立つ人でいっぱいでその中に、学ラン、坊主刈りの応援部リーダー部2年の林君。やってくる人の方を向いて立っていた。ちょっと固い風な表情は、応援部員らしさといってもいいのか。式が始まった後で応援部に充てられた時間、その進行にマイクの前に立ったのがその彼。それから主将の関口君が壇上真ん中に立ってリード。背後にチアの登場で出席者たちの共に歌う応援歌「紺碧の空」、それにチャンスメドレーなど。リーダー部からは、彼ら二人のみ。神宮の早稲田の試合、雨で中止の日でありましたからね。 
 
晴れであれば、彼らはこちらには来れなかったし、私も予定としては式典の後、同時に行われている稲門祭の様子を見てから神宮球場で早稲田応援、などと思っていたのだけれども、ともかくその日の悪天候も出席者たちの記憶に残る思い出のひとつになるに違いなく。電車を前になって降りた向かいの席にいたOBも、広い会堂内に隙なく出席された方々の何処にかおられたはずで、舞台に向かって左の2階席が15年目の方、1階席は、左から25年目、35年目、50年目、45年目、45・50年目一緒になる列。そして右2階席が51年目以降、対象年次以外の方と、すべての年次。彼の年齢の感じからすると卒後35年辺りになるのだったろうか。
 
私は右2階席の会堂内全体を見下ろせるような位置にいて、やっぱりそうした70代を超えるOBたちも数多く出席している、ある意味壮観とも感じられる満席の場。感慨深いものを思わされざる得ないものもあり、居合わせることのできたことに満足を感じた。総長、校友会の代表幹事、それに卒業45年目の一人ということにもなる弁護士の大澤孝征さんのスピーチとつづいて、最後に校歌の斉唱となって、また遠くの舞台上に応援部主将の関口君登場。神宮での早稲田応援の時には、生協で買った野球部と同じ白にWマーク入りの帽子を被ることにしている私は、その日もWASEDA感覚を見せるために帽子共の参加。むろん、それは脱いで、腕を振り3番までの校歌を歌いました。
 
というところで、壇上には外国の大学から招かれた方もおられて、早稲田の場合の、この校歌斉唱の場合に歌に合わせて腕を上下に振ることを同じようにされていたのだけれども、それに少々面白みを感じた次第。その12時終了の式を終えて外に出た時には、猛烈な雨。その日にそこまでの意地悪を天がしなくても良いのに、と思わせるほどの降りようで、外に出た人々はその中、列をなして進まざるをえなくなった。稲門祭も行われるその日、多くは参加予定の会場などへと流れるはずで、戸山キャンパスから隣りの早稲田キャンパスに向けての雨中の人の波は、行き着くだけでも大変そうな気配に感じられたのだけれども。
 
私にはひとつ、行ってみたいと思っていたイベントがあって、その始まりは2時間ほど後。どこかで昼食をとってからでも、1時間半ほどは待たないといけないという処で、ひどい雨と思うように進めない人の列の中、どうしようかと考えたのだけれども、後になって後悔したことに、雨の中の状況に意欲を萎えさせられてしまうようなことになったのである。晴れていれば、人で混み合う路でも先に楽しみが待つ気分になれていたのだろうが、雨の中、満員の電車の中にいるような感覚。そこから先ずは逃れたいという思いになって、横断歩道の処で人の向かう大学側ではない、すんなりと行ける方に路を折れた。そうして、そのすぐ先の店に昼食をとる為に。
 
カウンター、或いは席に、記念式典帰りと分かる、記念品などの入った大学からの紙製のバッグを脇に置いた、いずれも60代辺りからの年齢と思われる方々がそこ、ここにいて、私もその一人となったわけだけれども、行きたかったというのは、10号館での「早明ラグビー対談」というもの。4人の対談ということで、早稲田出身の3人に加えて、明治出身の名スタンドオフ松尾雄治。行きたかったのも、かつての早稲田大学、そして日本代表の監督でもあった日比野弘先生(1934-)の話が聞きたかったら、ということと共にその姿が見たかったからである。2005年に定年退職されて名誉教授となられた先生は、今月の誕生日で79歳。
 
そうした教室のような場所で拝見できる機会が、当方にはもうないものと思えるのだから、是非ともこの日に、と考えるのは当然。ラグビーの早明戦が、国立競技場の66,999人という、実際には70,000を超えていたとも言われた入場者記録を作った80年代。それ以前の70年代から私も熱心なラグビーファンで、早稲田は大西鐡之祐監督(1916-1995)、そして日比野監督とチームを率いられたのだけれども、そうした当時の監督たちの姿は、記憶に強く残っている。日比野監督は、ふくよかな面立ちはそのままで、印象そのままのお人柄というイメージが強い。どこか怜悧な鋭さを内にも秘めているような大西監督タイプに比すると、感じとしてはその逆のゆったりとした雰囲気で周りをリードしてくれるような印象で。
 
実際、現在の年齢、そして高齢になった先生のお姿。そうしたものに触れると、若い時代の姿が余計に甦って、ひじょうに奇妙な思いもするけれども、やっぱりその魅力あるあたたかなお人柄、人間性というのは、他に見ないような生来のものを感じさせて、その人のすばらしさを思う。1970年代の頃の、ある主将の言葉、「思いやりのすごくある、情を一生懸命にかけてくれる指導者」から伝わるもの、とても良く分かるように思える。2005年に定年退職される際の最終講義で、ラグビーの仲間たちのことに触れた時に、こみあげるものに声を詰まらせ、途絶え、間があって、やっとまた言葉をつなげられた姿は、とても印象に残ります。そうした仲間たちと共にある人生。しあわせそのものの人のもの、としか思いようがありません。
 
その日、その時間の雨の強さと前に進めないような路上の混み具合に、そのイベントまでの2時間近い時間を待つ気力を無くしてしまったことで、その先のことが幻と消えてしまうことになったことを、どのように考えたらよいものか。ということでは、今後は、後悔しないためには待つべき時にはなんとしても待つこと。教訓として生かす他はない、ということになるのだろうと思う。この11月3日にも、同じように待つ必要のある機会があって、その日は雨ではなかったけれども、我慢をして待った。ひとつ、ひとつと、機会を幻とせずに、現実に触れるものとする。その方を、やっぱり選びたい。
 
 
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                                                                                 日比野弘先生
 
 
 
2o November 
 上の記事で早明戦に触れたところで、毎年12月の第一日曜日に国立競技場で行われることになっているその試合。今度競技場が改修になるということで、現在の国立での最後の試合ということになるのですね。私は行く予定でいたのですが、じつは春の早慶戦につづいてWASEDAサポーターズ倶楽部の方で今回もペアチケットプレゼントというのがありまして、私も申し込んでいたわけなのです。20名当選のところで応募者も少なからずいる模様なので、今度はプレゼントは駄目だろうと思っていました。
                                                                                                                                           
 ところが、又しても当選の知らせ。「当選」というのは、運の良さを感じさせてくれるものですね。何だか、うれしくなりました。伝統の早明戦。やっぱり、優勝を争うようなチーム力をもっての熱いたたかいを望むところではありますが、他の強いチームの存在などもあって、その点では物足りないところもあるように思います。だが、早慶戦がそうであるように、この伝統の、特別な一戦。盛り上がると思います。たのしみ。上の画像の日比野先生も、当然競技場に見えられるでしょう。
 
                                                                                                                                           
                  早大ラグビー蹴球部official siteの「国立をホームにしよう」大横断幕画像の部分
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 11月25日(月)の12:20-12;50。昼休みの時間、早明戦に向けての壮行会が10号館前の広場にて。応援歌の練習、出場選手の決意表明、校歌の斉唱などが行われる由。行ってみたくなりますね。実は上画像を入れた今日は、11月23日。思いついて、ラグビー応援に国立に行く時には、早稲田カラーの臙脂のマフラーをと、今日買いに行ってきました。という具合に早大応援に入り込んでいるというわけなんですが、昔、明治大学には2年間在学(演劇専攻)。こういう対戦の場合にはどういうことになるのか、ということがないわけでもないんですが、なにせ早稲田通いもじきに6年目に入るとなれば、、、、、、。画像の左端に、ホームカミングデー記事でも触れた応援部リーダー主将の関口君がいます。学ラン、腕を振り上げて。4年は、最後になるんですね。
 
 
11 December
12月1日の早明戦での、画像。一枚だけ、ここに入れておきましょうか。試合終了後のセレモニーでは、選手たちを前に、登場した松任谷由実さんが「ノーサイド」を歌いました。改修前の国立での最後。1973年以来の40年間の戦史に幕。ここで繰り広げられた数々の熱闘。
 
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VISITOR'S! 12

コメント 3

ぶーけ

ラグビーもお好きなのですね。^^
せっかくの機会を逃されたのは残念でした。
そういうのって、判断に悩みますよね。

画像認証、今日はちゃんと見えます。^^
文字より数字のほうがいいですね。

by ぶーけ (2013-11-13 11:12) 

extra770

ありがとうございます、ぶーけさん
自身の現状について言えば、したくないことはしなくても良い、したいことだけをすれば良い、ということが許される年齢になっているということなんですね。何かしらの束縛があるというわけでもない。自由。非常にラクな状態にあるんだと思います。何をすることを選ぶかは、だいじなことなんですけれどもね。
by extra770 (2013-11-23 23:19) 

ぶーけ

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。^^
by ぶーけ (2014-01-01 21:05) 

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