are-kore/兎跳び熊吠え不敗神登場する神宮球場のimmortalityに話及べば

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久しく更新しなかったことになるけれども、気がついてみればという処もあって、いつの間にやら月も変わりその月も後半に入って、これは何といったら良いのか、わわれわれの置かれているさだめ、ということでもあって、そうした思いを繰り返しつつ年を重ね、いつも時間は過ぎていくということで、その最後が人によって何年目かのちがいということにもなりますか。80年などというところにいけば上々などというような受け止めをする人もいるかも知れない。初めからそのようなことには無感覚、という向きがあってもおかしくはないということもあるものの、何にしても気がついてみれば、時には残されている時間ももうない、ということもね。

この18日の土曜日は、およそ30年振りか。神宮球場。正確に言えば明治神宮野球場に、予定の通りに出掛けて六大学の応援。何故に行こうという気になったのかと言っても、たまたま思いついてというほどのところでしかないんだけれども、その週の立教3回戦を予定していたら早稲田は連敗をして、3回戦がないことになってしまった。ということで、土曜日の法政戦にずれこみ。その日、地下鉄駅から外に出て感じたのは、全然辺りに見覚えのない状態になっていること。初めて来る場所同然の辺りへの感覚。球場の方角はおおよそ分かったけれども、分かったことと言えばそれくらいであとは未知の街状態。というのは、どうしてなのか。かつて幾度となくやってきていたものなのに、30年も経つと? 

応援部のリードに従っての観戦になる応援席に入ることにしたその日。前から5列目程のところだったけれども、すぐ脇に応援部員が立って声を張り上げる。眼の前にチアの女子がやってきて立ち、これまた元気な声を上げる。そうした周囲の動きの中、校歌を歌い、応援歌の「紺碧の空」、その他をを歌い、コンバットマーチにメガフォンを叩き、手を振り上げる。選手を応援、と連続して応援は続く。という中で、感じたのは、応援部員やチアたちの頑張りを眼の前にしていての、それにも応えてあげなければというような心情。印象としては、自身の学生時代にチアはいなかったけれども、応援リーダーに従っての応援スタイルは変わらないように感じた。それに当該試合大学の応援団同士の、交換の六大学の形、伝統。 

私が初めて神宮球場に行ったのは、昭和36年の春の早慶戦。慶應側の関係でチケットをいただいて観戦できたのだけれども、その春素朴な新潟の中学校を卒業したばかりの、15歳のとき。熱気に満ちた超満員の球場内の模様は、強烈な夢のようなものであったということになると思う。そうしたイベントの場に身を置くのは、初めて。記憶に残っているのは、早稲田側の応援。三塁側に見た方向イメージとして残っているのだけれども、現実にはそれはありえなくて、一塁側早稲田、三塁側慶応というのは歴史的な背景もあって固定しているので、三塁側の何処かから一塁側の早稲田を見ていたのではないだろうか。ワ・セ・ダと上げる声の区切りに従って、学生たちが体を前に倒し、後方に体を上げると共に両手を上げるというような形だったか、その連続した上段から下段までのスタンド全体の動きが、稲穂の揺れるイメージに映った応援部分。 

 その応援のさまが深く残像として残っていて、他にはただ場内の熱気に圧倒されたような記憶しか残っていない。その時に試合に出ていた選手の名前なども、全く記憶にない。それから25年程を経た1980年代のこと、TVKテレビ(神奈川テレビ)で毎週末放映されていた六大学野球の試合中継番組で、ある時「六大学野球の思い出」というようなテーマで、視聴者への応募が呼びかけられたことがあった。その時に私もなにか書きたくなって、浮かんだのがその最初の時の忘れがたい早慶戦のこと。六大学野球は今よりはるかにマスコミの扱いも大きな人気スポーツであったし、その前年の秋のリーグ戦では早慶六連戦という歴史に残る対戦があったことになるのだけれども、田舎にいた中学生まではその連戦の熱気は届かなかったように思う。ただ、初めてその春行った早慶戦の模様からしても、熱気は言うまでもなかったということ。 

確か四百字詰めの原稿用紙に4枚余、書いたように記憶する。それから程ないある土曜日か日曜のいずれか、試合前の時間に視聴者からの投稿の紹介があって、なんと私の名前が言われ、その「思い出」に実況アナが触れることになったのだが、その時の担当が、かつてのプロ野球のニッポン放送のショウアップナイターと言えばすぐに名前の出るほどに知られた、深沢弘さん(1936-)だと、さして考えもせずに思いこんでいた。ところが今回Wikiで見てみると、彼は1994年までニッポン放送にいて、その後神奈川テレビに移ったことが分かって、1980年代にそちらで仕事をしていることはありえないことを知った。ということで、改めて考えて思い至ったのが、TBSのエキサイトナイターで実況アナとして活躍された渡辺謙太郎さん(1930-2006)。 

1985年12月にTBSを退職されて、フリーになっている。ということでも、時期的にピタリと合う。今になってみると、その顔も声も記憶から脱落している深沢弘さんに比べて、渡辺謙太郎さんの記憶は、顔も声もその人間の発するイメージも確かに残っていて、既に亡くなられていることを知ればとても懐かしく感じてしまうのだけれども、放送での私の投稿文への触れ方も彼らしいというのが、そうして思えば分かってくる。彼ならでは、という感じがする。というのも、普通であれば、400字詰4枚余もある投稿文を紹介するのであれば、簡略に要約するなりして一部を原文通りに伝えるというようなことになるのだろうけれども、その時の渡辺さんは一行目から原稿を読みだして、さわりの部分だけで終わらせるものと思っていたのが、終わらずに先へと進むのである。そこで自身の書いたものに触れられるとは思ってもいなかった上に、そのように読みだされて、心情としては気恥かしさにそこから逃げ出したい思いになったのだけれども、読み続ける彼の声は最後の一行までという形勢で、止みそうにないのである。 

何故にその長すぎると思える全文を彼が紹介しようとしたのか。印象としてその時にもそれと感じたのは、早稲田出身の彼の早慶戦への思い入れの強さ。その早慶戦を初めて見た時の感動がいかに大きかったかを書いた私の投稿文は、彼の思い入れ感覚波長と、実に良くマッチをしたのではないかということ。記憶にあるそうした彼に、熱いものを感じる。渡辺謙太郎さんという人は、そういうハートを持った人だったな、ということを今になって思う。あまりに遠い過去のことなので深沢弘さんも早稲田の出身であったことから、いつのまにか思い違いをしてしまうことになったけれども、前に書いたように深沢さんの声も顔も、実のところは記憶から消えてしまっている。 

神宮球場で記憶に残っていることのひとつと言えば、2004年から2008年まで阪神タイガースの一軍監督だった岡田彰布さん。彼が大学に入ったばかりの年。春のリーグ戦の後の新人戦を見に行った時のライト前ヒット。彼は1957年生まれだから、1975年のこと、ということになる。昭和50年。曇天の日で、青空の下の球場感覚とは違い、スタンドの下側の早稲田側ダッグアウトすぐ上にいたせいか眼の前のグラウンドの土の感じが、プレイのスピード感を失わせるような重さを感じさせる、暗い色に映ったもの。そんな重い感じのグラウンド上を、ガツンという音と共にライト前に打球が転がって行った。硬球ならではのといったらいいのか、それに曇り日の重さも感じさせてのガツンという音。その音の感じが耳に残り、またそのガツンには岡田という選手の非凡なパワーゆえのものもあるのか、とも感じさせるものがその時の思いにはあった。並の一年生とは少しちがう、という情報からのイメージもあったのかもしれない。

今回、大学のサポーターズ倶楽部の関係で、20名に早慶戦のペアチケットが抽選でプレゼントされるというので申し込んでおいたら、思いもかけずに当選。というようなことで、外れていればおそらくは今回は行くことはなかった早慶戦に、そうとなればこれは良い機会と、普段は外で存分に声を出して歌うなどということがないし、応援をしたい気持ちは大であるから、是非とも行かなければという気持になっている。この春のリーグ戦での早稲田と慶応。最下位の東大は決定済みとして、どちらかが4位か5位になるという順位の待つ不本意な成績のシーズン。だが早慶戦は早慶戦。成績とは無関係の両大学にとっての特別な試合、イベントでもあるので、その盛り上がりに期待し、また良い思い出がひとつできればと思う。 

 

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VISITOR'S! 8

コメント 6

ばん

本当に久しぶりの更新ですね。お身体を心配していました。

神宮球場は一回しか行ってません。周りは何回も行った事が有りますが。実況アナウンサーの渡辺氏は知りませんでした。

これからも更新を楽しみにしています。
by ばん (2013-05-27 10:19) 

ぶーけ

野球の試合も、頑張って応援すると楽しいですよね。^^
野球ファンの方は歌とか応援合戦とかなくても楽しいのでしょうか?
by ぶーけ (2013-05-29 14:15) 

extraway

ありがとうございます、伴さん
渡辺謙太郎さんは、当時結構野球関連のニュース等でテレビにも出ていたと思いますので、画像を見れば伴さんも見覚えがあるかもしれません。YouTubeで名前で検索をすれば、見ることはできます。
でも本当に、時代はどんどん進んで、かつては一線で活躍をしていた人たちも、忘れられていきますね。
by extraway (2013-06-02 23:27) 

extraway

ありがとうございます、ぶーけさん
たのしみ方、それぞれなんでしょうけれどもね。具体的な応援行動はとらずに、じっくりとプレイを見ながらゲームを楽しんでいるという人は、先ずは野球そのもののファンということになるんでしょうね。
by extraway (2013-06-02 23:42) 

ばん

もうソロソロ更新も良いのでは~~~ハハハ~~~。
by ばん (2013-06-21 00:32) 

extra770

ありがとうございます。
こちらの更新は、目下の処無いままでいきそうですね。「Extrabox」「Giza-Giza」などのほうでは、更新していますけれどもね。それからgooブログの方でも二つブログをやっているんですが、そちらは二か月更新がないと、テンプレートを選択以前の形に戻されてしまいます。過ぎても更新した時点で、元のテンプレートに戻してもらえるということですね。他では、そういうことはやらないでしょう。
by extra770 (2013-06-21 21:55) 

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