are-kore/視る向きの奥似たる人時越え訪れることあるそのとき

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この10日、脚本家等として活躍された市川森一さんが70才で亡くなられた。その彼が、ずうっとパーソナリティとして出演されていた、ある月曜から金曜日までの昼のラジオ番組のこと。私はその番組だけできるだけ聴くことにしているのだけれども、昨年、早大で講座を受講していた加藤諦三さんも別の曜日のパーソナリティ。市川さんは金曜日に亡くなられた。月曜は加藤さんの担当なのだけれども、当然のことながら番組側からの市川さんに対する追悼の言葉がある日になるだろう。そのように此方は思っていたところが、収録されていた市川さんの日の放送分を、加藤さんの代わりに流しただけで、終わる。
                                                                                         
追悼の言葉だけではない、番組として特別な形の放送回にするのではないか? 真摯に取り組まれたことが此方にも伝わる市川さんという人の存在。そのことを思ってもなにか追悼の形のことが、と希望的に考えていた此方の思いは見事に裏切られて、追悼のひとつの言葉さえも無し。いまだ理解に、難し。
                                                                                    
                                                                             
                                                                                                                                                                                          
24 December
今年最後の更新、ということをやっておこうかな、と。すぐに一月になり、どんどんまた日が過ぎていくことになるわけで、今年が、来年がと区切って言うこともないようにも思うけれども、でも年のこの時期に来ると、終わり、そして始まりという区切りのようなもの、やはり意識に来るもののようですねえ。
                                                 
                           *
                                                                                   
                                                                
「本を読むのが段段面倒くさくなったから、なるべく讀まないやうにする。讀書と云う事を、大變立派な事のやうに考えてゐたけれど、一字づつ字を拾って、行を追って、頁をめくっていくのは、他人のおしゃべりを、自分の目で聞いてゐる様なもので、うるさい。目はそんなものを見るための物ではなさそうな氣がする」 
                                                                                                                                                                             
内田百間さんの短章「風呂敷包」の書き出し部分。昭和8年オール読物発表のもの。百間さん44歳。文章はそれにつづいて、「貧乏の挙句、家族の食ふものがなくなったので、蔵書を賣り拂って、最後に、いくらか未練があって残しておいた字引も、みんな賣ってしまった。獨逸語の教師をしているので、辭書の類は大分持ってゐたのだけれども、それを賣ったら、何だかその語學にも興味がなくなってしまった」、などとつづくのだけれども、彼の現実、そこでの彼ならではの感覚、感性による対応、そしてその結果の次第。
                                                                  
東京帝国大学出身にして大学の教授等をしながらも、上記のような生活を送り、普通ならば表には見せまいとするところを何ら臆するところなく、表現して見せているのは著述をする人ならではのものでもあろうけれども、またそこで見せる彼の視点、在るがままに生きる人の潔さのようなもの、それに触れる人の関心ひくものが出てくるもののようで当時出版された彼の号をタイトルに入れた「百鬼園随筆」は、ベストセラー。
                                                                    
その彼の「ノラや」という1980年に初版の発行された、中公文庫の一冊をいま手にしたところ。1956年から1970年までの間に発表された彼の家猫への追慕、諸々の思いを書き綴ったものとされる内容。「彼ハ猫デアル」という野良猫の子、ノラとの出会いの一篇から始まっているのだけれども、そのタイトルからして夏目漱石の弟子である彼らしく「吾輩は猫である」をもじったりなどして。その辺りにも彼の変わらぬ師への思い、内に強くあるものを、やはり感じさせる。
                                                        
どこに書かれていたのか今思い起こせないけれども、誰かが百閒さんのこと、「子供の時のままの、現在」というようなニュアンスで表現していたけれども、そのままのような人であったのかもしれない。ある場合には、一人にはしておけない手のかかる子供のような。それだけにまた、感情も純粋、そのままに流れ出して止まらない、という面を思わせたりもする。人が成長する中で、あるいは失い枯れさせていくものを変わらずに持ち続けるような。
                                                                  
実のところ、早大エクステンションの秋からの、26号館602教室での文学部中島国彦教授の講座では、一回一時間半の授業で、斉藤茂吉を四回、内田百間を三回、瀧井孝作を三回という予定で12月まで進められたのだけれども、この内、瀧井孝作には個人的に全く関心湧かず。ということながら、先生が百閒さんを選んでくれたのは有難かったことで、こちらなりに期待を抱いていたもの。非常にやさしい穏やかな語り口で、丁寧、かつ綿密に進められるのが先生の授業で、ひきこまれる処があるのだけれども、百閒さんについての場合、もちろん先生の考えられた取り上げ方であったものの、自身としてはその人間、個性面などについてもっと入りこんだものなどを期待。でも時間足らずのこともあり、先生のお考えもあり、いずれにせよ致し方無し。
                                                                   
昔は彼の著作をあれこれ持っていたのだけれども、引っ越しなどをする間に大抵の本を処分したりで、手元から消えてしまっていた。「風呂敷包」の最初に彼が書いているように「本を読むのが段段面倒くさくなったから」などというのも、あるのかもしれない。今は、小説などは、全くといっていいほど読まない。短編ならなんとか、というような処。また百閒さんなどに巡り合ってみると処分などしなければ良かった、などとも思うけれども、そこは図書館の本で間に合わせることもできることだし、身の回りの物はできるだけ少なく、というのが望むところでもあるので、本も増やしたくはない。
                                                                                 
                         *
                                                                                                                                              
「ノラや」で、百閒さんという人をたっぷりと味わうとして、私の処にも今野良猫でいつも此処に来ているのがいる。何年にも渡っていつも裏庭に来ていたのが白黒の猫なんだけれども、それに代わっているのが、この茶の猫。春頃だったのだろうか、住まいの脇でこの猫を見た時に感じた痛ましさ。右の眼が抉られでもしたかのように無かったのである。そこの部分の生々しい傷跡。その後も家のそばで見かけていたけれども、もちろんそばになど寄ってこない。警戒心強く、離れたところにいて、いつでも逃げだせる態勢でるような様子。
                                                                 
裏の部屋の外のエアコンの上にいたりすることもあって、夏の頃、室内から撮った写真などもあるのだけれども、ここのところ裏庭に姿が見えると、踏み石の上に猫のために置いている皿にキャットフードを入れてあげていた。それがつづくうち、そのそばから離れない時間が多くなった模様。早朝など、気がつくと窓の下で待っている姿が見える。裏庭は枯れ葉が敷き詰められた状態になっているので、そこにうづくまるようにして、日向ぼっこをするように眠り込んでいることもある。
                                                                     
その子がそこにいるようになったせいか、ずうっと来ていた白黒の猫の姿をここのところ見ていない。
もう傷跡はすっりと収まっている様子なのだけれども、何としても片目だけの顔でこちらを見上げている姿を見ると、不憫に感じるのである。食べさせて、体も大きくさせてあげたいなどと思うのである。そこにいる限りは、あるいは来ている限りは、考えてあげたいなと。
                                                                        
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本日は午前中、中山競馬場まで歩いて往復。2、3Rとやって明日のグランプリ、有馬記念の馬券を買って戻ったのだけれども、どちらかと言えば私は、GⅠのレースに強い。どうでしょうかGⅠ馬9頭の参戦。ブエナビスタもこれがラストレース。 
                                                             
自身としては、来年もまたたのしみな、一年。
いつまでつづくものかは分からないけれども、来年はまだ、たのしみな一年。
                                                                                                                 
                                                                                                       
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コメント 8

ぶーけ

私も何か一言欲しいと思います。何も言わないことが番組なりの(ディレクターなりの?)追悼だったのでしょうか?
by ぶーけ (2011-12-20 10:40) 

extraway

有難うございます、ぶーけさん
言葉は、ぜったいに必要ではありませんか? 無視状態のごとくにでいつもと変わらないことを予定通りに進行。なにか冷え冷えとしたものを感じますね、やはり。ずうっと出演し、丁寧に仕事をされていた故人に、とても失礼なことだったと思います。
by extraway (2011-12-25 00:05) 

グリー

グ リーっていえばもうゲームの充実さでしょ
by グリー (2011-12-27 19:18) 

デザイン屋

明けましておめでとうございます。
2012年が幸多い一年となりますよう。
本年もよろしくお願いします。
by デザイン屋 (2012-01-01 11:05) 

ぶーけ

明けましておめでとうございます。
今年もよろいくお願いいたします。^^
by ぶーけ (2012-01-03 20:04) 

ぶーけ

よろいく、ではなくよろしく、でした。ごめんなさい。
by ぶーけ (2012-01-24 18:16) 

extraway

私も気づきませんでした。有難うございます。
by extraway (2012-01-25 00:05) 

ばん

お元気ですか~~~^。^
by ばん (2012-02-01 02:03) 

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